発酵の失敗から学ぶ微生物の科学:なぜ失敗するのか、どう防ぐのか

専門解説

はじめに

「失敗は成功のもと」——この言葉は、発酵食品作りにも当てはまります。味噌がすっぱくなりすぎた、糠床が臭くなった、パンが膨らまなかった——こうした失敗は、誰もが経験するものです。しかし、失敗の背後には、微生物の生態と発酵のメカニズムが隠されています。

この記事では、発酵の失敗例を通して、微生物の科学を深掘りします。失敗を「学びの機会」として捉え、発酵の奥深さを理解しましょう。

発酵とは何か?

微生物の代謝活動

発酵とは、微生物(細菌、酵母、カビなど)が有機物(糖、タンパク質、脂肪など)を分解し、エネルギーを得る代謝活動です。この過程で、様々な化合物が生成され、食品に独特の風味、香り、食感を与えます。

ヨーグルトの発酵科学で解説している通り、乳酸菌は乳糖を分解して乳酸を生成します。研究室では得意なのに、パン作りでは失敗?酵母の不思議で解説している通り、酵母は糖を分解してアルコールと二酸化炭素を生成します。

有用な発酵と有害な腐敗の違い

発酵と腐敗は、どちらも微生物による有機物の分解ですが、人間にとって有益かどうかで区別されます。

発酵:

•人間にとって有益な微生物(乳酸菌、酵母、麹カビなど)による分解

•食品に良い風味、香り、栄養を与える

•例:味噌、ヨーグルト、パン、チーズ

腐敗:

•人間にとって有害な微生物(腐敗菌、病原菌など)による分解

•食品に不快な臭い、味、有害物質を生成

•例:腐った肉、腐った野菜

発酵と腐敗の境界線は、微生物の種類と環境によって決まります。適切な環境を整えることで、有用な微生物を優勢にし、有害な微生物を抑制することができます。

失敗例1:すっぱくなりすぎた

症状

•味噌、糠床、パンが酸っぱい味がする

•酸味が強すぎて食べにくい

原因:乳酸菌の過剰発酵

乳酸菌は、糖を分解して乳酸を生成します。乳酸は酸っぱい味の原因です。乳酸菌が過剰に増殖すると、乳酸が蓄積し、食品が酸っぱくなります。

乳酸菌の増殖条件

•温度:20〜40℃が最適

•pH:酸性環境を好む(pH 4〜6)

•酸素:嫌気性(酸素がない環境)で増殖

•栄養:糖、タンパク質

pHの変化と微生物の活動

発酵が進むにつれて、乳酸が蓄積し、pHが下がります(酸性になります)。pHが下がると、乳酸菌の活動は抑制されますが、酸性環境を好む他の微生物(酢酸菌など)が増殖する可能性があります。

キムチの発酵科学で解説している通り、キムチの発酵では、乳酸菌のリレーが起こります。初期はLeuconostoc mesenteroides が優勢ですが、pHが下がるとLactobacillus plantarum が優勢になります。

科学的な対処法

1.塩を追加する:塩は乳酸菌の活動を抑制します。塩分濃度を上げることで、乳酸菌の増殖を遅らせることができます。

2.冷蔵保存に切り替える:低温(5〜10℃)では、乳酸菌の活動が鈍くなります。冷蔵保存に切り替えることで、発酵を遅らせることができます。

3.足し糠や足し麹をする:新しい糠や麹を追加することで、乳酸菌の濃度を薄め、微生物のバランスを整えることができます。

4.pHを測定する:pH試験紙やpHメーターを使って、pHを測定します。pH 4以下になると、かなり酸っぱくなっています。

予防策

•温度管理:発酵温度を低めに保つ(15〜20℃)

•塩分濃度:レシピ通りの塩分濃度を守る

•定期的な観察:発酵の進行を定期的に確認し、早めに対処する

失敗例2:カビが生えた

症状

•味噌、糠床、チーズの表面にカビが生える

•白い膜、黒い斑点、緑のカビなど

原因:カビの生育条件

カビは真菌の一種で、胞子を飛ばして増殖します。カビが繁殖するには、以下の条件が必要です。

カビの生育条件

•温度:20〜30℃が最適

•湿度:60%以上

•酸素:好気性(酸素がある環境)で増殖

•栄養:糖、タンパク質、脂肪

好気性と嫌気性の違い

微生物は、酸素の有無によって、好気性と嫌気性に分類されます。

好気性微生物:

•酸素が必要

•例:カビ、酵母(一部)、好気性細菌

嫌気性微生物:

•酸素が不要、または酸素があると増殖できない

•例:乳酸菌、酪酸菌、嫌気性細菌

カビは好気性なので、表面(空気と接触する部分)に生えやすくなります。一方、乳酸菌は嫌気性なので、内部(空気と接触しない部分)で増殖します。

糠床の微生物生態系で解説している通り、糠床の表層には酵母、中層には乳酸菌、深層には酪酸菌が分布します。これは、酸素の有無によって微生物の分布が決まるためです。

科学的な対処法

1.カビの部分を取り除く:カビの部分とその周辺(半径5cm程度)を深く取り除きます。カビの菌糸は内部まで伸びている可能性があるためです。

2.表面に塩を振る:塩はカビの繁殖を抑制します。表面に塩を薄く振ることで、カビの再発を防ぎます。

3.ラップで密着させる:空気との接触を減らすことで、好気性のカビの繁殖を抑制します。

4.冷蔵保存に切り替える:低温では、カビの繁殖が遅くなります。

5.毎日かき混ぜる(糠床の場合):糠床全体に酸素を供給することで、表層の酵母を活性化させ、カビの繁殖を抑制します。

予防策

•清潔な環境:道具や手を清潔に保ち、雑菌の混入を防ぐ

•密閉保存:空気との接触を減らす

•冷蔵保存:低温でカビの繁殖を抑える

•塩分濃度を保つ:塩がカビを抑制する

詳しくは、発酵食品に生えるカビの見分け方をご覧ください。

失敗例3:臭いがきつい

症状

•糠床、味噌から不快な臭いがする

•アンモニア臭、腐敗臭、酪酸臭など

原因:酪酸菌や酢酸菌の増殖

不快な臭いは、酪酸菌や酢酸菌などの微生物が生成する化合物によるものです。

酪酸菌

酪酸菌(Clostridium属など)は、嫌気性の細菌で、糖やタンパク質を分解して酪酸を生成します。酪酸は、バターのような臭いから、腐敗臭まで様々な臭いを発します。

酪酸菌は、酸素がない環境(糠床の底部など)で増殖します。

酢酸菌

酢酸菌(Acetobacter属など)は、好気性の細菌で、アルコールを分解して酢酸を生成します。酢酸は、酢のような刺激臭を発します。

酢酸菌は、酸素がある環境(表面など)で増殖します。

微生物のバランスが崩れる原因

発酵食品は、複数の微生物が共生する生態系です。適切な環境では、有用な微生物(乳酸菌、酵母など)が優勢になり、有害な微生物(酪酸菌、酢酸菌など)は抑制されます。

しかし、以下の原因で微生物のバランスが崩れると、有害な微生物が増殖します。

1.かき混ぜ不足(糠床の場合):底部に酸素が供給されず、酪酸菌が増殖

2.塩分不足:塩が不足すると、有害な微生物が増殖しやすくなる

3.温度が高い:高温では、有害な微生物が増殖しやすくなる

4.野菜を漬けすぎる(糠床の場合):野菜のタンパク質が分解され、アンモニアが発生

麹(こうじ)の科学で解説している通り、麹は酵素を生成し、タンパク質を分解します。しかし、分解が進みすぎると、アンモニアが発生し、不快な臭いの原因になります。

科学的な対処法

1.糠床全体をよくかき混ぜる:酸素を供給し、酪酸菌の増殖を抑制します。

2.臭いの強い部分を取り除く:酪酸菌が多い部分を取り除きます。

3.足し糠をする:新しい糠を追加し、微生物のバランスを整えます。

4.塩を追加する:塩が有害な微生物の増殖を抑制します。

5.冷蔵保存に切り替える:低温で微生物の活動を抑えます。

予防策

•毎日かき混ぜる(糠床の場合)

•塩分濃度を保つ

•野菜を漬けすぎない

•冷蔵保存

失敗例4:固まらない・膨らまない

症状

•ヨーグルトが固まらない

•パンが膨らまない

原因:微生物の活性不足

発酵食品の製造には、微生物の活性が不可欠です。微生物の活性が不足すると、発酵が進まず、固まらない・膨らまないという失敗が起こります。

温度と微生物の増殖速度

微生物の増殖速度は、温度に大きく依存します。

•低温(5〜15℃):微生物の活動が鈍くなる

•最適温度(20〜40℃):微生物が最も活発に増殖する

•高温(50℃以上):微生物が死滅する

ヨーグルトの発酵科学で解説している通り、ヨーグルトの発酵には、40〜45℃が最適です。温度が低すぎると、乳酸菌の活動が鈍くなり、固まりません。

パン酵母の種類と使い分けで解説している通り、パン酵母の発酵には、25〜30℃が最適です。温度が低すぎると、酵母の活動が鈍くなり、膨らみません。

微生物の死滅

高温(50℃以上)では、微生物のタンパク質が変性し、死滅します。ドライイーストを熱湯で戻すと、酵母が死滅し、パンが膨らまなくなります。

科学的な対処法

1.温度を最適範囲に保つ:

•ヨーグルト:40〜45℃

•パン:25〜30℃

2.発酵時間を延長する:温度が低い場合は、発酵時間を延長します。

3.新しい種菌を使う:古い種菌は活性が低下している可能性があります。

4.温度計を使う:温度を正確に測定します。

予防策

•温度管理を徹底する

•新鮮な種菌を使う

•ドライイーストは冷蔵保存する

•熱湯を使わない

失敗を防ぐための微生物学の基礎

1. 温度と微生物の増殖速度

微生物の増殖速度は、温度に大きく依存します。各微生物には最適温度があり、その温度で最も活発に増殖します。

微生物最適温度発酵食品
乳酸菌30〜40℃ヨーグルト、キムチ、糠床
酵母25〜30℃パン、ビール、ワイン
麹カビ30〜35℃味噌、醤油、日本酒
納豆菌40〜45℃納豆

2. pHと微生物の活動

pHは、微生物の活動に大きく影響します。

•中性(pH 7):多くの微生物が活動できる

•酸性(pH 4〜6):乳酸菌、酵母が優勢

•アルカリ性(pH 8以上):納豆菌が優勢

発酵が進むと、乳酸や酢酸が蓄積し、pHが下がります(酸性になります)。pHが下がると、乳酸菌や酵母が優勢になり、有害な微生物が抑制されます。

納豆の驚くべき健康効果で解説している通り、納豆はアルカリ性発酵です。納豆菌はタンパク質を分解してアンモニアを生成し、pHを上げます。

3. 塩分濃度と浸透圧

塩は、微生物の活動を調整する重要な要素です。塩分濃度が高いと、浸透圧によって微生物の細胞から水分が奪われ、増殖が抑制されます。

•低塩分(3%以下):多くの微生物が増殖できる

•中塩分(5〜10%):乳酸菌、酵母が優勢

•高塩分(15%以上):ほとんどの微生物が増殖できない

味噌の作り方で解説している通り、味噌の塩分濃度は10〜13%です。この塩分濃度では、乳酸菌や酵母は増殖できますが、有害な微生物は抑制されます。

4. 酸素の有無と微生物の種類

微生物は、酸素の有無によって、好気性と嫌気性に分類されます。

•好気性:カビ、酵母(一部)、酢酸菌

•嫌気性:乳酸菌、酪酸菌

発酵食品の製造では、酸素の有無をコントロールすることで、目的の微生物を優勢にすることができます。

失敗は学びのチャンス

研究者の視点から見た発酵の失敗

私は博士課程で酵母を研究していましたが、実験室でも失敗は日常茶飯事でした。培養液のpHが変わって酵母が死滅したり、雑菌が混入して実験がやり直しになったり——こうした失敗から、微生物の生態と環境の重要性を学びました。

家庭での発酵食品作りも同じです。失敗は、微生物の生態を理解する絶好の機会です。「なぜすっぱくなったのか?」「なぜカビが生えたのか?」と考えることで、発酵のメカニズムが見えてきます。

失敗から得られる知見

失敗から得られる知見は、成功からは得られません。

•すっぱくなりすぎた → 乳酸菌の過剰発酵を理解

•カビが生えた → 好気性と嫌気性の違いを理解

•臭いがきつい → 微生物のバランスの重要性を理解

•固まらない・膨らまない → 温度管理の重要性を理解

失敗を恐れずに、トラブルを「学びの機会」として捉えましょう。

まとめ

発酵の失敗には、必ず科学的な原因があります。そして、その原因を理解すれば、対処法も見えてきます。

すっぱくなりすぎた → 乳酸菌の過剰発酵 → 塩を追加、冷蔵保存

カビが生えた → 好気性カビの繁殖 → 密閉保存、冷蔵保存

臭いがきつい → 酪酸菌の増殖 → かき混ぜる、塩を追加

固まらない・膨らまない → 微生物の活性不足 → 温度管理、新しい種菌

失敗を「学びの機会」として捉え、微生物の科学を理解することで、発酵食品作りがより楽しく、より深いものになります。

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参考文献

•小泉武夫『発酵食品学』講談社

•Steinkraus, K. H. (1996). “Handbook of Indigenous Fermented Foods.” CRC Press.

•日本食品微生物学会

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