麹菌の科学:Aspergillus oryzaeの代謝と酵素の働き

専門解説

麹菌(Aspergillus oryzae)は、2006年に日本醸造学会によって「国菌」に認定された、日本を代表する微生物です。この菌は、強力な酵素生産能力と安全性の高さから、産業的にも広く利用されています。

本記事では、麹菌の分類学、酵素の作用機序、代謝経路、そして最新の研究成果を、学術論文に基づいて詳しく解説します。麹菌の科学を深く理解することで、発酵食品の奥深さをより一層実感できるでしょう。

1. 麹菌の分類学と系統

麹菌の学名はAspergillus oryzae(アスペルギルス・オリゼ)です。Aspergillusは「散布器」を意味するラテン語で、胞子を散布する構造から名付けられました。oryzaeは「米の」を意味し、米麹に使われることに由来します。

分類学的位置

  • :菌界(Fungi)
  • :子嚢菌門(Ascomycota)
  • :ユーロチウム菌綱(Eurotiomycetes)
  • :ユーロチウム目(Eurotiales)
  • :トリココマ科(Trichocomaceae)
  • :アスペルギルス属(Aspergillus
  • Aspergillus oryzae

ゲノム解析による系統関係

Kobayashi et al. (2007)によるゲノム解析では、A. oryzaeのゲノムサイズは約37 Mbで、約12,000の遺伝子を含むことが明らかになりました1。このうち、酵素生産に関わる遺伝子が豊富に存在し、特にアミラーゼやプロテアーゼをコードする遺伝子が多数確認されています。

A. oryzaeは、Aspergillus flavusと近縁であり、約99%の遺伝的類似性を持ちます。しかし、A. flavusが毒素(アフラトキシン)を生産するのに対し、A. oryzaeは毒素を生産しないことが確認されています。

2. 麹菌が生産する酵素の作用機序

麹菌の最大の特徴は、強力な加水分解酵素を大量に生産することです。Sun et al. (2024)は、A. oryzaeが「細胞工場」として優れた酵素分泌システムを持つことを報告しています2

アミラーゼ(でんぷん分解酵素)

アミラーゼは、でんぷんのα-1,4-グリコシド結合を加水分解し、糖類を生成する酵素です。麹菌は、以下の3種類のアミラーゼを生産します。

  • α-アミラーゼ:でんぷんの内部を切断し、デキストリンを生成
  • β-アミラーゼ:でんぷんの末端から切断し、麦芽糖を生成
  • グルコアミラーゼ:デキストリンをブドウ糖に分解

Lee et al. (2016)の研究では、A. oryzaeがα-アミラーゼとβ-グルコシダーゼを含む多様な糖代謝関連酵素を分泌することが確認されました3

プロテアーゼ(タンパク質分解酵素)

プロテアーゼは、タンパク質のペプチド結合を加水分解し、アミノ酸を生成する酵素です。麹菌は、以下の2種類のプロテアーゼを生産します。

  • エンドプロテアーゼ:タンパク質の内部を切断
  • エキソプロテアーゼ:タンパク質の末端から切断

Ito et al. (2021)の研究では、醤油醸造用の麹菌が、タンパク質を分解する多様なプロテアーゼを生産し、旨味成分であるアミノ酸を生成することが報告されています4

リパーゼ(脂質分解酵素)

リパーゼは、脂質のエステル結合を加水分解し、脂肪酸とグリセリンを生成する酵素です。Suzuki et al. (2021)の研究では、A. oryzaeのリパーゼがチーズの熟成に寄与することが確認されました5

酵素の相乗効果

麹菌が生産する3つの酵素(アミラーゼ、プロテアーゼ、リパーゼ)は、それぞれ異なる基質を分解します。これらが同時に働くことで、でんぷん、タンパク質、脂質が分解され、甘味、旨味、香りが複雑に絡み合った発酵食品が生まれます。

3. 麹菌の代謝経路

麹菌の代謝は、一次代謝と二次代謝に分けられます。一次代謝は生育に必須な代謝経路で、二次代謝は生育に必須ではないが、様々な生理活性物質を生成する代謝経路です。

一次代謝:酵素生産

Pedersen et al. (1999)の研究では、A. oryzaeの代謝フラックス解析により、酵素生産に関わる代謝経路が明らかにされました6。麹菌は、グルコースを主要な炭素源として利用し、解糖系、TCA回路を経て、エネルギーと前駆体を生成します。

酵素生産は、以下のステップで行われます。

  1. 遺伝子発現:酵素をコードする遺伝子が転写される
  2. 翻訳:mRNAからタンパク質が合成される
  3. 分泌:タンパク質が細胞外に分泌される

Jiang et al. (2022)の転写解析では、A. oryzaeが基質を分解する酵素の活性を制御し、代謝産物の生産速度を調整することが報告されています7

二次代謝:有用物質の生産

麹菌は、二次代謝によって多様な有用物質を生産します。Han et al. (2024)の研究では、A. oryzaeが発酵中に多様な二次代謝産物を生産することが確認されました8

代表的な二次代謝産物には、以下のものがあります。

  • コウジ酸:美白効果があり、化粧品に利用される
  • クエン酸:酸味料として食品に利用される
  • イタコン酸:バイオプラスチックの原料として利用される

4. 麹菌の酵素生産制御機構

麹菌の酵素生産は、遺伝子レベルで精密に制御されています。Kitamoto (2002)の研究では、アミラーゼ遺伝子(amyR)や窒素代謝遺伝子(areA)が、酵素生産に重要な役割を果たすことが報告されています9

転写因子による制御

酵素生産は、以下の転写因子によって制御されています。

  • AmyR:アミラーゼ遺伝子の発現を制御
  • AreA:窒素代謝遺伝子の発現を制御
  • LaeA:二次代謝遺伝子の発現を制御

これらの転写因子は、環境条件(pH、温度、栄養素)に応じて、酵素生産を調整します。

産業応用への展開

東京大学の研究チームは、麹菌の代謝経路に関連する13個の遺伝子を改変することにより、異種天然物の生産能力を大幅に増強した麹菌の開発に成功しました10。この技術により、麹菌を「細胞工場」として利用し、医薬品や化学品の生産に応用できる可能性が広がっています。

5. 麹菌研究の最前線

麹菌の研究は、ゲノム編集技術の発展により、新たな段階に入っています。CRISPR-Cas9技術を用いることで、特定の遺伝子を改変し、酵素生産能力を向上させることが可能になりました。

今後の展望

麹菌の研究は、以下の分野で今後の発展が期待されています。

  • 産業酵素の生産:洗剤、食品加工、バイオ燃料の生産
  • 医薬品の生産:抗生物質、抗がん剤の生産
  • バイオプラスチックの生産:環境に優しい素材の開発
  • 機能性食品の開発:健康効果の高い発酵食品の開発

6. まとめ

麹菌(Aspergillus oryzae)は、強力な酵素生産能力と安全性の高さから、日本の発酵文化を支えてきた重要な微生物です。ゲノム解析、代謝解析、転写解析などの最新技術により、麹菌の酵素生産メカニズムが解明されつつあります。

  • ゲノムサイズ:約37 Mb、約12,000の遺伝子
  • 酵素生産:アミラーゼ、プロテアーゼ、リパーゼを大量に生産
  • 代謝経路:一次代謝(酵素生産)と二次代謝(有用物質生産)
  • 産業応用:「細胞工場」として医薬品や化学品の生産に利用

麹菌の科学を深く理解することで、発酵食品の奥深さをより一層実感できます。今後の研究により、麹菌の新たな可能性が開かれることが期待されます。



参考文献

  1. Kobayashi, T., Abe, K., Asai, K., Gomi, K., et al. (2007) “Genomics of Aspergillus oryzae” Bioscience, Biotechnology, and Biochemistry, 71(3), 646-670.
  2. Sun, Z., Wu, Y., Long, S., Feng, S., et al. (2024) “Aspergillus oryzae as a Cell Factory: Research and Applications in Industrial Production” Journal of Fungi, 10(4), 248.
  3. Lee, S., et al. (2016) “Metabolomic Profiles of Aspergillus oryzae and Bacillus amyloliquefaciens” Journal of Microbiology and Biotechnology, 26(12), 2023-2032.
  4. Ito, K., et al. (2021) “Koji Molds for Japanese Soy Sauce Brewing” Applied Microbiology and Biotechnology, 105(15), 5873-5886.
  5. Suzuki, S., Ohmori, H., Hayashida, S., et al. (2021) “Lipase and protease activities in Koji cheeses surface-ripened with Aspergillus strains” Food Science and Technology Research, 27(3), 543-550.
  6. Pedersen, H., Carlsen, M., Nielsen, J. (1999) “Identification of Enzymes and Quantification of Metabolic Fluxes in the Wild Type and in a Recombinant Aspergillus oryzae Strain” Applied and Environmental Microbiology, 65(1), 11-19.
  7. Jiang, C., et al. (2022) “Transcriptomic analysis reveals Aspergillus oryzae responds to temperature stress” PLOS ONE, 17(9), e0274394.
  8. Han, D.M., et al. (2024) “Transcriptomic analysis of the metabolic characteristics of Aspergillus oryzae” LWT – Food Science and Technology, 191, 115612.
  9. Kitamoto, K. (2002) “Molecular biology of the Koji molds” Advances in Applied Microbiology, 51, 129-153.
  10. 東京大学(2024)「大規模な代謝改変により異種天然物の生産能力を大幅に増強した麹菌の開発に成功」
  11. 小泉武夫(2018)『発酵』中公新書
  12. 北本勝ひこ(2016)『麹の科学』講談社ブルーバックス
  13. 日本醸造学会(2006)「国菌認定に関する報告」
タイトルとURLをコピーしました